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三河の住人の庵

三河の住人の庵

安城市 山崎城址と松平信孝

松平信孝という人物に興味を持ったのは 我が家の近くの寺にあった墓を見たからだった。

城護山観音寺(岡崎市下三ツ木町田中22)の小さな宝篋印塔。墓碑には 
開山 教信上人 安祥城主 松平長親公
三ツ木城主   三木織部正信乗公  松平蔵人信孝公
と刻まれている。

  • 三木松平信孝墓I.JPG



ここ三ツ木城主だった松平蔵人信孝は 安祥城主 松平信忠の次男として生を受けた。
大永3年(1523)信忠は隠居して 嫡男清康が松平7代を継いだ。
信孝には三河国額田郡合歓木が与えられ 3男康孝には三ツ木と西浅井を与えられた。
信孝、康孝の兄弟は共に7代清康の三河統一を助けて戦働きをした。 

天文4年(1535)清康死後 城を追われた松平広忠の岡崎城復帰に際して信孝の功は大きかった。
これにより広忠の信頼を得たが、早世した弟康孝の三ツ木・浅井の領地や一族の岩津松平氏の所領を押領し、宗家を凌ぐほどの勢力になった。

天文12年正月 広忠名代で駿河を訪問中、広忠と重役たちにより放逐された信孝は織田方に奔り 安城に山崎城を築いて岡崎城の広忠に敵対する。

  • 山崎城址堀.JPG



天文16年(1547年)渡の川原で広忠と戦い 翌 天文17年3月の小豆坂の合戦の後 4月 単独で岡崎城を目指し 明大寺村 耳取縄手で討死。
広忠は信孝の死を強く悲しんだという。
上和田の浄珠院に葬られる。法名清光院殿忠岳心照大居士。


  • 渡合戦城跡.JPG



  • 浄珠院信孝墓.JPG



2012.04.20 作成




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